狡賢さを実行することをためらわない
マキャベリの言葉に『君主たらんとするものは、種々の良き性質をすべて持ち合わせる必要はない。しかし、持ち合わせていると、人々に思わせることは必要である』というものがあります。
リーダーというのは、部下から信頼されていなければいけません。そのためには、思いやりがあって、信義に厚く、公正明大で、懐が深い人物だと思わせる必要があります。
ここでのポイントは『重要なのは相手にそう思わせることであって、本当にあなたがそういう人物である必要はない』ということです。キリストや菩薩じゃないのですから、たとえ努力したところで、そう簡単にそんな人間になれるわけがありません。
自分より出世した人間がいれば嫉妬するし、職場に気に食わない人だっている。ときには、ふて腐れたり、怒鳴り散らしたくなることだってあるでしょう。それが、普通の人間です。
マキャベリは、そうした『悪い心をなくせ』と言っているのではありません。それどころか、マキャベリ自身、こうした「よき性質」を実際に持ち合わせていることは、むしろ「有害である」とさえ述べています。
そもそも、マキャベリの思想は『人の本質は悪である』ということが前提となっています。人間は悪い心を持っていて当たり前で、なくそうと思ってなくなるものではない。そこが出発点です。
ですから、悪い心を持っていてもまったく構いません。嫌いな相手を無理に好きになる必要はないし、ときにはズルをしたって仕方がないのです。
理想論だけでは世の中はまわらない
もちろん、自分から「私は悪い人間だ」とわざわざアピールする必要はありません。どうせなら、誰からも「いい人だ」と思われていたほうが得なのは当たり前の話でしょう。ただし、「ただのいい人」であっては困ります。
なぜかというと、いい人というのは、『倫理的に悪とされることでもやらなければならない』というときに、ためらいが生じてしまうからです。ビジネスというのは、言ってしまえば「利益」の奪い合いです。
当然、そこにはきれい事だけで済まない問題も起こってきます。そんなときに、いつでも「いい子ちゃん」では困るのです。いつも清く正しくというのは、あくまで理想であって、本当は『時と場合によっては、悪も容認しなければならない』のです。
悲しいことかもしれませんが、それが現実です。普段は「いい人」と思われていても、時と場合によっては、少しくらい汚いことでもやってのける。そのくらいの心構えがなければ、厳しいビジネスシーンで生き残ることなどできないのです。