「謙譲」=ただのいい人?
日本では、「謙譲」が美徳とされています。謙譲とは、自ら慎ましい態度をとることで相手を立て、尊敬の念を表すことです。日常では、贈り物をするときに「つまらない物ですが、どうぞ」と言ったりするのがその代表的な例です。
本当に「つまらない物」だとしたら、そんな物を相手に贈ること自体がそもそも失礼です。ですから、贈り物をする方は本当にその品をつまらない物だと思っているわけではありません。
しかし、物事の感じ方は人それぞれですから、自分では「よい物」だと思っていたとしても、相手にとってもそうであるとは限りません。「これはよい物ですから、どうぞ」という態度で贈り物をした場合、相手にとって本当につまらない物だったらガッカリしますし、かといって相手は「つまらない物ですね」と言うわけにもいかないでしょう。
「つまらない物ですが」という言の中には、「私はよい物だと思いますが、あなたにとって違ったらごめんなさいね」という、相手への配盧の気持ちも込められているのです。
日本では、古くからある習慣ですし、いわば当たり前のことです。しかし、そうした習慣がない外国人とのやりとりでは、『言っていることと実際のことが違う』と、困惑させることになります。
また、海外では考えていることを直接言葉で表し、はっきりと伝えるほうが主流ですから、相手が直接言葉にしない本音を、言われた側が察するというやり取りは、その習慣を理解できる相手にしか通じません。
現代では、相手の本音を察することができない人も増えていますから、ただの「いい人」で終わってしまうこともあります。
交渉の場では謙譲は不利益
マキャベリは『謙譲の美徳を持ってすれば、相手の尊大さに勝てると信ずるものは、誤りを犯すはめに陥る』と述べています。
やや極端な言い方になりますが、政治の舞台や外交でのやり取りでは『いかに相手の主張を受け入れることなく、こちら側の主張を通せるか』が重要です。とくに相手が尊大な態度で接してくる場合は、より強く見せて要求を通そうという意思の現れです。
そんな相手に謙譲の態度で接しても、相手にとって都合がよいように受け取られてしまい、利益を損なうことになるでしょう。ビジネスにおける交渉も同じです。相手が海外企業の場合はもちろん、日本人同士でも油断してはいけません。
会社間の交渉では、どちらも自社により有利な条件で交渉を進めたいのが本音ですから、相手に付け込む隙を与えてはいけません。謙譲は確かに美徳ですが、交渉の場では不利益にしかなりません。「いい人」が有益なのは日常の場だけなのです。