善意が「当たり前」にされてしまう不条理
あなたは「嫌なヤツになったほうが得なんて、ありえない」、そう思うかもしれません。ですが、ちょっと考えてみましょう。普段から親切な人がいたとします。その人が誰かに何かしてあげたら、相手も最初は感謝するでしょう。
ですが、それが続くと「あの人はそういう人だから」と普通のことになっていき、やがてその人の親切は「当然」になってしまいます。なぜなら、その人の親切な行動は『相手が期待する通り』だからです。
むしろ普段から親切にしている分、ちょっと冷たい態度をとっただけで周囲からの評価が大きく下がってしまったり、場合によっては「いつもはしてくれるのに!」と怒り出す人まで出てきたりします。
一方で、普段からぶっきらぼうで他人に何かをしてあげる姿など見たことがなく、冷淡だと思われている人がいたとします。ある日突然、その人が残業をしているあなたに対して、「お疲れ様」とコーヒーを差し入れしてくれたとしたらどうでしょう。
普段から親切な人に差し入れをもらうよりも、ずっとうれしく感じませんか?普段から冷たい態度をとる人に、何かを期待する人はまずいないでしょう。その人にまったく期待していないからこそ、その人から受けた『予想外』の親切が大きく響くのです。
一方で、普段から気が利くタイプの人がたまたま重要な案件で気が回らなかったとき、周囲の人から「アイッは肝心なときに使えない」などと陰口を叩かれている。そんな人は、あなたの周囲にもいるのではないでしょうか。
本来なら普段から親切にしていることを感謝されてもいいはずなのに、ちょっと何かあっただけで、感謝されるどころか逆に悪く言われてしまう。こんなに馬鹿馬鹿しいことはありません。
普段の態度とのギャップが相手を喜ばせる
こうした人の心理について、マキャベリは『人間というものは、危害を加えられると思い込んでいた相手から親切にされたり恩恵を施されたりすると、そうでない人からの場合よりずっと恩に感じるものだ』と述べています。
相手に期待していない、もしくは期待できるような相手ではないからこそ、そのギャップから、実際以上の恩恵を受けたような感覚に陥るのです。
逆に、普段から恩恵を受けるのが当たり前になってしまった相手の場合は、恩恵を受けられなかったときにより大きく損をしたような感覚を受け、相手を非難する気分になってしまうというわけです。
つまり、普段から周囲に親切な人は、いわば自分で八1ドルを上げてしまっているようなものなのです。ですが、普段から嫌なヤツだと思われていれば、気が向いたときにほんの少しいいことをしただけで感謝されます。
普段から親切にされることが「当たり前」だと思われてしまうよりは、このほうがずっとよいのではないでしょうか。